アントン・ヘルケンホフとジョゼフ・デューズは1896年5月に協業を始めました。2人はデューズ・ヘルケンホフ・マシンワークス社を開設しましたが、同年11月にデューズは株式を売却し、アントンは社名を「ミンスター・マシン・カンパニー」に改めました。
20世紀に入って西部オハイオ州の石油ブームが最初の製品である油井ポンプ動力装置を始めとして同社に多くのビジネスチャンスを提供しました。その機構により最大30箇所までの油井を同時に掘削することが可能になりました。
1901年、ミンスター・マシン・カンパニーが正式に設立されました。フランク・ヘルケンホフが新会社の主要な投資家でした。 最初の役員は、社長 チャールズ・ヘルケンホフ、副社長 コルストン・ディーン、経理担当 ジョン・エイティング、ゼネラルマネージャー アントン・ヘルケンホフという顔ぶれでした。
この地域で掘削された浅い油井の多くはクラッチの故障で悩んでおり、その修理がミンスター・マシン社に持ち込まれたため、アントン・ヘルケンホフは原因を調査、改善したフリクションクラッチを発明しました。それは1905年に特許を取得しました。
その後10年間、同社はガソリンエンジン用の大型・小型クラッチと、さまざまなプーリーと関連する動力伝達装置に特化しました。
1912年までに、ミンスターはヘルケン及びヘルケンジュニアクラッチ・プーリーシステムを製造していました。これらのクラッチは主にガソリンエンジン産業で使用され、当時の多くのメーカーのラインシャフトを駆動していました。
1916年、ミンスターは「ハイデューティドリルプレス」を発表し、工作機械業界に参入しました。この堅牢な機械はさまざまなサイズが製造され、大型のドリルアプリケーションに使用されました。
1920年代、ミンスターはドリルプレスライン事業を売却し、プレスブレーキの生産で板金業界に参入しました。しかしミンスターの高度なクラッチ技術は機械式プレス事業により適合すると経営陣は判断、このベンチャーは短期で終了しました。
最初のミンスター機械式プレスは1926年に製造されました。45トンオープンバック傾斜型(OBI)プレスを始め様々なサイズのOBIプレスが製造されました。第5号プレス機はミンスターの特許取得済みのクラッチ技術を採用した最初のプレスです。
1927年、ミンスター・マシン・カンパニーは最初の門型プレスを製造しました。この40-41/2、75トンプレス機は、受注から2ヶ月余りでミシガン州デトロイトのボーエン・プロダクツ社に納品されました。
1928年、ミンスターは50-8-60 300トンのダブルクランク門型プレスを受注し、その能力と製品ラインを拡大しました。インディアナ州フォートウェインのトークハイムポンプカンパニーに納めたプレス機の製造にあたっては、設計、サイズ、重量、機械加工、組立てなど多くの問題を克服する必要がありました。
1930年代を通して、ミンスターはイノベーションと品質への強いコミットで、大危機を乗り越えました。同じシャフトにセパレート型フリクションクラッチブレーキを使った最初のプレスメーカーとなり、世界初のトランスファープレス機を製造、最初の箱型クラウン構造のプレス機を製造、また特許取得済みの空圧式フリクションクラッチブレーキユニットの使用も開始しました。
1930年代の終わりまでにミンスターは兵器工場、航空機会社、造船所用のプレス機を製造していました。その間、米国は「民主主義のための武器庫」になるために尽力し産業大国に変わっていきました。
1937年、ミンスターのエンジニア、リューベン・ウィスマンは、プレス業界に革命を起こした空圧式フリクションクラッチブレーキユニットの組み合わせであるAFCクラッチを完成させました。AFCクラッチは1939年に特許を取得し、業界をリードするミンスターの自動生産プレス機の標準となりました。
ミンスターは1948年に「Pシリーズ」愛称「ピースメーカー」プレスを発表しました。最初のP2は、ミンスターの特許取得済みCFCクラッチを搭載したダブルクランクストレートサイドプレスで、高速生産の要求に合わせて特別に開発されました。 ミンスターP2プレス機は、高速生産自動順送金型専用に設計された世界初のプレス機の1つです。
1950年代、ミンスターは大規模な組立エリアと機械加工場を建設し施設を拡大しました。1955年に大規模な追加工事を行い、10年未満で工場の面積が倍増しました。
ミンスターは1959年12月に最初のE2「ヘヴィスタンパー」プレス機を出荷しました。E2は、高速ギヤドライブを必要とするより要求の厳しい順送金型アプリケーション向けの大型プレス機として設計されました。E2は、品質、耐久性、再販価値の評価を急速に高めました。
ミンスターは、容易に開く「ティアトップ」缶蓋の大量生産用に適した世界初のプレス機を設計しました。
1964年までにミンスターP2ピースメーカープレス機は、積層モータコア製造において10年以上にわたる経験で業界をリードしていました。1964年、ミンスターはP2をこれまでで最も高速で高精度な積層コア製造プレス機として大規模なキャンペーンを打ちました。
初のパルサープレス機が製造され、ICや端子の超高速生産が可能になりました。パルサープレス機は最大2,000 SPMの速度を達成しました。
ミンスターは、飲料缶の缶蓋を製造するためのシングルアクションシェルプレス、SAS4-H125-90 (能力60-125トン)を発売しました。
ミンスターは、能力200トンのDAS-H200-101という初のダブルアクションシェルプレスを発売し、最大375 SPMの速度を実現しました。
ミンスターは、製造開始から 100 年を迎えました。
2012年4月、日本の京都に本社を置く日本電産株式会社(現ニデック株式会社)がミンスター・マシン・カンパニーを買収しました。この買収によりミンスターとその顧客にグローバルリソースの世界が開かれました。
2015年にミンスターは、スペイン・ログローニョのプレス機製造会社Arisa S.A.を買収しました。この買収により、ミンスターの製品ラインアップが大幅に拡大、絶え間なく成長するグローバルプレゼンスが拡大されました。
ミンスターは、300-600トンの能力を持つ最初の高性能サーボプレス機、FX2 Servoを発表しました。
2017年、ミンスターはペンシルベニア州のピッツバーグに本社を置く、高速送り装置のイノベーターであり主要メーカーであるVamco International, Inc.の買収を発表しました。ミンスターの高速プレスラインと統合されたVamco製品で、1つのブランドの下に完全な製造システムを実現します。
2017年、ミンスターは、既存のプレス機メーカーであるミンスター、アリサ、キョーリを共通のプラットフォームで市場に提供するグローバル組織、ニデックプレスアンドオートメーションの設立を発表、北米に拠点を置く販売会社であるプレス・マスターズ社の買収を発表しました。
Systeme and Steuerungen (SYS)が買収され、正式にニデックプレスアンドオートメーショングループに加わりました。ニデックSYSは高い品質で包括的なターンキー製造ソリューションを提供しています。高速サーボ送り装置、スピンドルプレス、関連オートメーション機器、最先端の生産管理および監視ソフトウェアを備えた統合制御機器、特殊な高速プレス再製造などを提供しています。
ニデックプレスアンドオートメーションは、当時業界で最高出力のECH-140エンドコンバージョンプレスを発売しました。ECH-140は5,100 SPMを生成し、PPMを70%増加させることができます。
ミンスターはニデックアリサとの共同開発で、能力355-900トンの偏心ギア門型サーボプレスGS2を発売しました。
2020年、ミシガン州に拠点を置く北米のコイルラインメーカーであるCHS Automationが買収され、ニデックプレスアンドオートメーションは、外部から調達することなく、1つのメーカーとしてコイルから部品までの完全なプレスルームシステムをご提供できるようになりました。
オハイオ州ミンスターにあるミンスター本社で、23,900 平方フィートの工場施設工事を開始しました。この拡張工事で、組立場の拡張、最新技術や空調設備、2台の新しい大型クレーンの導入に加え、機械加工設備が大幅にアップグレードされます。
ニデックプレスアンドオートメーションは、オハイオ州ナポレオンにあるAutomatic Feed Companyの買収を発表しました。1949年に設立されたAutomatic Feedは、コイルハンドリング機械およびシステムの設計・製造における先進企業であり、自動車メーカーやティア1サプライヤーにて表面仕上げが重視されるアプリケーション用に、自動化された高速ブランキング、シャー、レーザーブランキングラインを提供しています。